勾玉(まがたま)

この世に現れているものには全て意味がございます。
一つに、人々に現れてくる現象、これは必要だから現われてくる。そしてそれをどのように鎮め正していくかは、あなた達の判断、そしてこれまでに培って来た経験、姿勢等が影響するわけでございますが、心が現れ、心で対処しているあなた達の今の現状ならば、こうしたらいけないということはございません。
何故なら、神はどんな時あなた達に力を及ぼすと思いますか?
事を起こさないようにすることが神の仕事ではありません。あなた達に向かってきた問題・試練に対して結果が出たとき、愛の判断でどちらかに流れた方が愛の輪にとって良いのかと決断で力を貸しております。まずは、あなた達が経験しその結果、力を与えるというように思っていただいたほうが良いかもしれません。試練と守りは別に考えて頂いてよいかと思われます。
次に石の持つエネルギーですが、石とは自然界のパワーを持っております。
それぞれに顕れる作用は決して迷信ではございません。
石がついているからと言ってなんら神的には問題ございませんが、h様が感じている通り、神のエネルギーとは違いストレートに強さが出てしまうことは間違いありません。
今のあなた様方には本来ならば石は必要ないのですが、人々の思いが定まらぬ時に、そこに頼る程度ならば支障がございません。
しかし、石の作用によって自分自身が強くなったように傲慢の気が出てしまうことが問題でございます。
自分以外の物によって起きてくる作用は本物でないという意味があなたがたにはご理解いただけると思います。本来ならば、自分を取り巻く愛のエネルギー、ご自分自身の中から、湧き出てこそ、本物であるということでございます。
この世には石に限らず、沢山の補助的なお守りのような存在を現すものが用意されておりますが、全て心の痛みを安らげるための一時的なものでございます。
このようなものに頼らなくても、これまであなた方が経験しわたし達と共に語らい歩んで来たそのものがあなた方の中に、そして周りをとりかこんでおります。
愛とは、自分の中に存在し、自分の中に開き力を放っていくものでございます。
わたし達にとってはなんの障害も影響もございません。全てあなた方の成す行動を微笑んでみております。